金沢城公園西側で発掘調査が進められていた鼠多門・鼠多門橋について、3年間行われた発掘調査も終わり、2018年度から本格的に復元工事に着手されます。
概要
名称:金沢城公園整備(鼠多門)工事
場所:金沢市丸の内
設計:公共財団法人文化財建造物保存技術協会
敷地面積:225,003.36㎡
建築面積:7,272.03㎡
延床面積:8,020.42㎡
用途:博物館
構造:木造、一部鉄骨造
高さ:10.445m
階数:地上2階地下1階
工事着手予定日:2018年7月1日
工事完了予定日:2020年12月10日
鼠多門の特徴
金沢城公園の復元工事について、城門に関しては金沢城三御門である石川門、橋爪門、河北門の復元が行われてきました。
鼠多門はこれらの三御門と何が異なるのか、2018年1月に行われた石川県の年頭知事会見の要旨から見ていきたいと思います。
1.江戸初期に創建され、250年間存在した門
金沢城は幾度となく大火に見舞われ、多くの城門が焼失しています。
主な原因は、敵に攻められた・・・ではなく、火の不始末、落雷やフェーン現象だったとされています。(落雷といえば年始早々、テレビの電波塔が落雷で火災が起きたように冬雷はとてつもない威力があります)
そんな中で、鼠多門は明治17年に焼失するまで250年間存在し、特に藩政期は1度も焼失することなかった金沢城の中では珍しい門となります。
2.石垣の間に通路が存在する門
(知事記者会見(年頭知事会見) – 平成30年1月4日 – 1 金沢城「鼠多門・鼠多門橋」の復元 -石川県 より引用)
三御門は石垣の上、あるいは台地の上に通路があるのに対し、鼠多門は図のように石垣の間に通路があり、石垣の上に1階、2階がある構造でした。
3.黒い海鼠(なまこ)漆喰を使用した門
これが最大の特徴で、黒漆喰を用いた門となります。
これは金沢城どころか全国の城門にもない特徴で、鼠多門が唯一となります。
震災の1か月前に熊本城へ行ったのですが、熊本城が黒いのは城を囲っている板が黒いからです。
漆喰が用いられているのは、壁面の正方形の模様の枠部分です。
平瓦と周囲を接合しているものになります。全国的にも白漆喰が用いられていますが、鼠多門は白壁の上に2ミリから5ミリの厚さで黒漆喰が用いられていたことが発掘調査で判明しました。
焼失前の写真では黒漆喰は白く見えるみたいですが、250年間の間に剥がれ、白い部分がむき出しになったと推測されるそうです。
今、生きている人で当時の鼠多門を見た人は一人もいませんが、復元調査の結果、黒漆喰で復元されることになりました。
こちらが当初の鼠多門復元イメージです。
ここが非常にロマンを感じる部分で、調査の中で黒漆喰が見つかっていなかったら、白漆喰で整備が進められる予定だったことが分かります。
黒漆喰の欠片が見つかったことは発掘調査での大きな成果だったことがうかがえます。
これらが、大きな3つの特徴でした。
その他、明らかになっていることは、
・明治時代に陸軍が石垣をふさいだため、藩政期の城の入り口で唯一閉ざされていた門(付近のいもり坂は陸軍が整備した道路なので藩政期には無かった)
・復元されれば、約130年ぶりの復活。
・石垣の上に、威容を誇る2層2階の櫓が建つ
・三御門の枡形門とは異なる単体の門
です。
(知事記者会見(年頭知事会見) – 平成30年1月4日 – 1 金沢城「鼠多門・鼠多門橋」の復元 -石川県 より引用)
復元に関して、内部はこのようになります。
2つの出入口が設けられ、急勾配の当時の階段を復元すると同時に、緩勾配の階段も整備されます。
城門であるため、内部は約140㎡とそこまで広くありません。
河北門と同様、平瓦と内部の壁板に名前や記念のメッセージを直筆で記入できる寄進事業もあるそうです。
寄進の口数は、河北門とほぼ同じ約2,900口を予定されています。
鼠多門橋の特徴
鼠多門橋は、尾山神社(金谷出丸)と鼠多門(及び、玉泉院丸)を結んでいた木橋です。
当時は尾山神社裏の、現在道路になっているあたりにお堀があり、橋を架ける必要がありました。
明治17年に老朽化により撤去されました。
(知事記者会見(年頭知事会見) – 平成30年1月4日 – 1 金沢城「鼠多門・鼠多門橋」の復元 -石川県 より引用)
同アングルで比較してみました。
復元にあたっては、
・大型車両も通行できる高さ約4.7mを確保する必要がある
・耐震性などの安全基準を満たす必要がある
・車や歩行者の通行に支障をきたさないように復元をする必要がある
などから、市道を廃止・移設するわけにもいかないので、完全復元は難しいとの結論に至りました。
このため、大型車両を通行できるように橋の高さは尾山神社側で当時より2m高くなります。
また、耐震性を満たすため、鋼材を用いた橋(鋼格子ラーメン橋+鋼門型ラーメン橋)となります。
ただ、鋼材の周りは木材板で囲われるうえ、高欄や通路は木造となり、見た目は木橋そっくりになります。
通行に支障をきたさないために、6基ある橋脚のうち2基の位置がずれることになります。ただ、他の4基は江戸時代と変わらない位置で復元されます。
詳しくは石川県のホームページをご覧ください。
(知事記者会見(年頭知事会見) – 平成30年1月4日 – 1 金沢城「鼠多門・鼠多門橋」の復元 -石川県 より引用)
尾山神社側には高低差が発生するため、階段とスロープが整備されます。
スロープ途中には眺望スポットも整備され、橋と城門が眺められそうです。
現在の様子
発掘調査が終わり、着工待ちの状態です。
こちらに鼠多門が復元されます。
尾山神社東門近くから撮影。
仮囲いが見えます。
北側から見た様子です。
隣接する、丸の内園地の一部では囲いがされていました。
この辺りに作業所が建てられるのかと思っています。
【お詫び】
一つお詫びをしておきたいのですが、今まで当サイトでの表記は全て「鼠多橋」でしたが、正しくは「鼠多門橋」でした。
過去記事のタイトルをすべて修正しましたが、ブログ本文は追々修正していく予定です。
過去記事
・金沢城 鼠多門・鼠多門橋復元工事 2017.12
・金沢城 鼠多門・鼠多門橋復元工事 2017.7
・金沢城 鼠多門・鼠多門橋復元工事 2017.2
・金沢城 鼠多門・鼠多門橋復元工事 2016.10
・金沢城 鼠多門・鼠多門橋復元工事 2015.10
・金沢城 鼠多門・鼠多門橋復元工事 2015.7