本多公園は本多町歴史文化ゾーン 整備工事として、北陸放送駐車場として使われていた敷地を緑地化し、駐車場内にあった、国登録有形文化財・旧本多家住宅長屋門を移転整備したものです。
今回は、本多公園の旧本多家住宅長屋門を中心に見ていきます。
石川県立図書館側からのアプローチです。
旧本多家住宅長屋門は、本多家上屋敷に隣接した本多内記家の長屋門の主要部を明治初期に移築したものです。
江戸末期の建築です。現在は国の登録有形文化財になっています。
以下は過去の記事にも書いたものですが、一応おさらいです。
本多家とは
まず、加賀藩の直臣は、人持組頭、人持組、平士、足軽に大別されます。
人持組頭のなかでも最上級の藩士が8人いました。これが加賀八家と呼ばれる家柄です。
加賀藩の大名家老は、大名にも匹敵する禄高で、加賀八家でもトップクラスの禄高を誇っていたのが本多家です。
本多家は加賀藩の家臣で最高の石高(5万石)を有していました。これは、全国大名家臣の中でも最高の禄高でした。
本多家の所有地(総面積)は上屋敷・中屋敷・下屋敷10万坪(300,000㎡)を超え、現在の「本多の森」「本多町」と呼ばれるあたり一帯は本多家の所有でした。(スケールが大きすぎて意味が分からないですね)
そこで、家臣だけで500人程度が暮らしていました。
ちなみに、
上屋敷→石川県立美術館、石川県立歴史博物館がある一帯
中屋敷→石川県立図書館、MRO北陸放送会館、鈴木大拙館がある一帯
下屋敷→石川県立工業高校、遊学館高校がある一帯
を指します。
つまり、旧本多家住宅長屋門は江戸末期に現在の石川県立美術館や石川県立歴史博物館がある周辺一帯に建築され、それが、現在の場所に移築されたものというわけです。
加賀藩の重臣クラスの武士の邸宅にあった門が現在も残っているわけで非常に貴重なものですね。
門の正面の壁は杉皮葺きとなっています。
通常は屋根に施されることが多いのではないでしょうか。
杉皮の質感がいいですね。
登録有形文化財の銘板があります。
土台は金沢の戸室石が用いられており、手前には欄干も残っているため、移設前は前に小川が流れていたのでしょうか?
立派な門です。間口は8尺あります。
今まではMRO(北陸放送)職員駐車場の出入口として使用されており、関係車両はこの門をくぐって駐車場を出入りしていたんですよね(笑)
事故で門が壊れるようなことが無くて良かったです。
門の内部の様子です。
乳鋲もついています。
門より21世紀美術館方向。
このアプローチがまさにMRO職員駐車場への出入口でした。
細部まで凝っています。
屋根の様子。
休憩スペースになっていました。
内部は土壁でできており、なんとなく里山の中の古民家に行った気分になります。
写真右上は何かを掛けるものなのかな?
本多公園側の様子。
上部には立派な梁が通っています。
柱はやや傷ついていましたが、年数が経過し、触り心地も良かったです。
門を抜けた様子です。
最後に本多公園側から見た様子です。
過去記事
・本多町歴史文化ゾーン 整備工事 2017.2
・本多町歴史文化ゾーン 整備工事 2017.1
・本多町歴史文化ゾーン 整備工事 2016.11