玉泉院丸庭園整備事業 は、江戸時代から明治時代まで存在した庭園で、防衛のための石垣を庭園の背景として利用した全国でも珍しい庭園です。玉泉院丸庭園は明治以降に埋められたものの、歴史的価値が高く評価され、敷地にあった石川県体育館の移転後に復元整備に取り掛かりました。
完成予想図はこのような感じです。
石川県公園緑地課のホームページにも工事の様子が詳しく載ってます。(詳しくはこちら)
さらに、YouTubeでも玉泉院丸庭園整備のイメージ動画が載ってましたので下のリンクも参照を。
まずは、金沢城二の丸側から行くと、新たな園路が整備中でした。
完成すれば玉泉院丸庭園と旧第6旅団司令部跡までが一本で繋がります。
こちらは、いもり坂から、色紙短冊積み石垣のあるほうへ、更には上で紹介した写真の場所へと繋がる園路です。階段は金沢市原産の戸室石で整備される予定です。
いもり坂からの玉泉院丸庭園の様子を紹介していきます。まずは、出島付近です。こちらはほぼ整備が完了されており、奥の暫定芝生広場も随分前から完成してます。
出島です。
水辺近くはこの辺りだけ舗装されるようですね。玉泉院丸庭園は水深が浅く、園路と水の高さが近かったりしそうです。
真ん中には中島、奥には休憩所、右のグレーシートは木製の橋がそれぞれ作られてます。
休憩所からは、畳に座りながら庭園を眺めることが出来るようになるそうです。
木製の橋は、兼六園の花見橋のような仕上がりになるとか。
園路は起伏のある感じになり、様々なアングルから庭園を眺められる仕掛けとなってます。
滝付近の様子です。景石がごろごろ転がっているあたりが滝となります。石樋からチョロチョロ流れる水がここを流れて池に合流する仕組みです。
こちらは南側の築山の様子です。5mの盛り土の上には休憩所が設けられ、兼六園栄螺山の山頂にあるような傘型の休憩施設ができます。
トイレの屋根には銅板が貼られてました。
まだ水が張られてませんが、水は宮守堀からポンプで引き上げてくるそうなので、源流は辰巳用水の水が使用されるようです。
以前より、かなり庭園らしくなってきた玉泉院丸庭園。
ちなみに、玉泉院丸庭園が整備される「玉泉院丸」は命名されてから今年で400年です。一時期は軍施設や体育館があったものの、再び400年前に名付けられた玉泉院丸の呼び名が復活します。
庭園の整備の様子なんて滅多に見られません。時間があったら、整備の様子を見る価値あると思います。
~おまけ~
玉泉院丸庭園外側の石垣の様子です。
写真を見てパッと分かった方は凄いと思いますが、以前、石川県体育館への入り口連絡路として石垣を取り壊し道路にしていた場所が埋められ、再び石垣が復活しました。周りの石垣より少しだけ新しいのが分かるはずです。
玉泉院丸庭園や石垣は職人の技を後世に伝える場所としても価値があると思います。
過去記事
・玉泉院丸庭園復元工事 2013.7
・玉泉院丸庭園の復元開始!
・玉泉院丸庭園 復元工事 2013.1下旬
・玉泉院丸庭園跡復元工事 2012.7