武蔵ヶ辻エリア・近江町市場の北側にある市媛神社の前を通りかかると、鳥居などの移設工事が行われていました。
今まであった玉垣もなくなり、スッキリ?ポッカリ?とした印象です。
位置的に見えにくかったのですが、工期は平成31年3月末までと書かれています。
市媛神社の石柱も暫定的に移設され、正面ではなく横を向いています。
鳥居は既に移設され、2つが重なるような形になっています。
2つの鳥居の形も異なります。
鳥居の下の部分が出っ張っている鳥居と、出っ張っていない鳥居があります。
鳥居には「金澤市魚商組合建之」の文字が。近江町市場に従事する方によって支えられています。
工事前の様子
今まで撮りためたストックから工事前の市姫神社の写真を探したのですが、(今のところ)境内に入った写真しか見つかりませんでした…
見えにくいですが、道路のすぐ脇に玉垣があったのが分かりますかね…?
なぜ移設に?
なぜ、市媛神社の鳥居や玉垣が移設したのか調べると、記事のタイトルにもあるように都市計画道路による道路拡幅が関係しています。
現在、国道159号線の武蔵交差点から橋場交差点までの「都市計画道路武蔵橋場線」の拡幅について協議されています。
実はこの道路拡幅計画(幅員22m)は、1930年(昭和5年)の金沢市の都市計画決定まで遡ります。例えば、武蔵ヶ辻と金沢駅を結ぶ金沢駅前通り線についてもこの時期に計画されたもので、この計画が基になって現在の金沢市の都市基盤が形成されているといっても過言ではありません。(山側環状など郊外路線は戦後の金沢60万都市構想などに基づきますが・・・)
現在は、近江町市場からひがし茶屋街へ抜けるメインストリートにもかかわらず、歩道幅が大変狭く、電柱もむき出している状況です。
1930年(昭和5年)の都市計画決定(W=22m)では、国道159号(近江町交差点~橋場交差点間)は北側に約6m、南側に約1m広がる計画となっていましたが、旧来の町家が建ち並ぶなど、なかなか計画が進まず計画から89年経った現在も同じ幅員となっています。
現状としては都市計画決定後(1930年以降)に建て替えられた建築物については6mセットバックして建築されることが定められています。
青で示したのが現状の幅員で、赤で示した部分が6mラインです。こうやって見ると建て替えられた建物はセットバックされていることが分かるでしょうか。
このうち、武蔵交差点から博労町交差点までの区間で道路の拡幅が先行してようやく決定し、幅員22mの4車線道路となり、歩道も1.5倍から2倍へ拡張されます。
市媛神社の鳥居が移設されたのもこのためです。
将来的には・・・?
将来的に武蔵交差点から博労町交差点まではこのようになります。
1930年の都市計画決定と同じ幅員で整備され、
- 車道は2.75m→3.00m
- 歩道は1.5m→2.50~4.00m
- 自転車レーンの新設
- 右折レーンの整備
と、それぞれゆとりある幅員が確保されます。
また、博労町交差点から橋場交差点については歴史的建造物も多く存在していることから、道路自体の拡幅は行わず、無電柱化を進めたうえで歩道を広げることなどを計画しています。こちらについては着工までもうしばらくかかるのではないかと思われます。
武蔵交差点~博労町交差点については市媛神社の先にある建築物も移設または解体となるのでしょうね。
この辺りも景観が変わりそうですね。
無電柱化が進めば少しは歩行者環境が改善されそうな感じはします。
この通りもどのように変化していくのか気になるところです。
かつてはこの通りが金沢で最も栄えた中心部だっただけに、石黒薬舗や森忠商店などの大型町家が現存し、石黒ファーマシービルや旧金沢貯蓄銀行、三田商店などの近代建築も数多く現存しています。そういった建築物の保存とともに、近代的ビル群やマンションの乱立よりも、かつての栄えた雰囲気を感じ取れるエリアになればと思っています。