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【特集】日本銀行金沢支店が移転を計画!跡地はどうなる?

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北國新聞の2017年12月19日の朝刊に、日本銀行金沢支店が香林坊から金沢駅西へ移転する方向で検討されていることが報じられました。

日本銀行金沢支店(以下、日銀金沢支店)は老朽化が進んでおり、いつかは建て替えか移転の時期が来るだろうと思っていましたが、いざ報道されると衝撃的でした。

 

現在の日銀金沢支店について、さらには移転後の跡地についてどうなるのか見ていきます。

※日銀からは現時点で正式な発表はなく、あくまで推測・検証記事ですのでご了承ください

 

 

日銀金沢支店の概要

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名称:日本銀行金沢支店
敷地面積:約4,700㎡
延床面積:約4,800㎡(倉庫を含めると約5,400㎡)
フロア:地上2階地下1階
竣工年:1954年(昭和29年)竣工

日銀金沢支店は1909年(明治42年)に日本海側初の出張所として開設、全国9統括支店の一つで、北陸3県を統括しています。

正面扉には日銀の行章があり、「日本銀行 金澤支店」と沢が旧字体になっているところからもレトロ・重厚感が出ています。

現在の日銀金沢支店の建物は2代目となっており、初代の建物は東京駅を設計したことで有名な辰野金吾氏の建築でした。

 

 

 

移転先は金沢駅西のJR社宅跡地が有力?

北國新聞が報じた内容によると、移転先は金沢駅西のJR社宅跡地が有力候補に挙がっているとのこと。

JR西日本が所有するJR社宅跡地は延床面積が37,000㎡あります。

金沢市の都市計画では2015年5月に旧社宅敷地内に市道を新設することが決定しています。新設される市道は幅員12m、2車線片側歩道のものです。(図の赤線部分)

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(図は2016年4月作成)

このうち、

再開発プロジェクト第1弾としてJR体育館跡地にJR金沢駅西第一NKビルが2014年6月に竣工(オレンジ色の部分)

再開発プロジェクト第2弾として広岡1丁目交差点角にJR金沢駅西第二NKビル(スコール金沢)が2017年3月に竣工(黄緑色の部分)

しています。

そして、水色で囲ってある部分は西日本ジェイアールバス金沢営業所で、2019年をめどに金沢市乙丸町へ移転する計画が進んでいます。

(参考記事:【特集】 西日本ジェイアールバス金沢営業所が乙丸に移転へ!金沢駅西口で大規模開発プロジェクト始動!

噂ではホテル構想が取沙汰されていますが、まだ跡地活用は2017年12月現在で未定としています。個人的には金沢営業所の跡地(約7,500㎡)はJR社宅跡地の中でも唯一の高さ制限が45m区域なので、どちらかというと日銀より高層の建築物の建設が妥当だと思います。

 

JR金沢駅西第一NKビル、JR金沢駅西第二NKビル、西日本ジェイアールバス金沢営業所跡地を除いた、残りの社宅跡地のエリア(約18,000㎡)はまだ完全に活用スケジュール・用途についても不明です。

日銀金沢支店が社宅跡地に移転するならば、残りの社宅跡地エリアに移転するものと思われます。

他にも、金沢アリーナ構想と言われる金沢駅西側の徒歩圏内に1万人規模のアリーナを作る民間プロジェクトも構想されていることを考慮すると、そういった計画との調整で移転先が決まるのかもしれません。

 

まだ、JR社宅跡地に移転と決まったものではなく、あくまで有力候補であるため、まだ推測でしかありません。

 

 

中心部から金沢駅西へ続く移転

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元々、金沢駅西地区は金沢の新都心(金沢駅西新都心)として都市計画されたエリアですが、しばらくはバブル崩壊など不況が続き、青空駐車場が広がる郊外のようなエリアでした。

北陸新幹線開業前後から開発が活発になり、金融機関をはじめ、既存建築物が古くなった中心部からの移転が相次いでいます。

 

市中心部から移転した主な建築物・機関

名称 移転年 用途 移転前
中日新聞北陸本社(北陸中日新聞) 2010年 新聞社 金沢市南町
株式会社日本政策投資銀行北陸支店 2012年 銀行 金沢市丸の内
大原学園金沢校舎 2013年 専門学校 金沢市高岡町
北國銀行本店 2014年 銀行 金沢市下堤町
興能信用金庫金沢支店 2017年 銀行 金沢市上堤町
NHK金沢放送局 2018年(予定) 放送局 金沢市大手町

 

ここ7~8年で報道機関・金融機関の移転が見られ、その中でも特に北國銀行本店の駅西移転は象徴的なトピックスでした。

 

 

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そもそも、武蔵が辻~香林坊の間(上堤町・下堤町・南町)が金融・オフィス街になったきっかけが、1909年(明治42年)の日本銀行金沢営業所(当時)の開設だったそうです。

銀行の銀行である日銀のまわりに次々と金融機関の支店が建てられていったのでしょう。

日銀金沢支店の駅西地区への移転が決まれば、金融機関が必ずしも金沢市中心部にある必要性がなくなるので、駅西シフトもさらに加速していきそうです。

 

 

 

跡地はどうなる?

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跡地については、現在のところ未定となっています。そもそも移転や具体的スケジュールを決定したわけではないので当然ですよね。

 

 

 

全国の事例は・・・

全国的にも日銀支店の建て替え・移転は古いものから順番に進んでいます。

どのような活用がされているのか見ていきます。

 

日本銀行鳥取支店 (1938年(昭和13年)3月 建築)

氾濫により、地下金庫に浸水したことをきっかけに昭和56年4月に新築移転しました。

(出典:Wikipedia-カラコロ工房(旧日本銀行松江支店)

跡地は建物を保存し、「カラコロ工房」という工芸館として利用されており、工房のほか、レストランや喫茶店が入居し、コンサートや展示会ができるスペースも備わっています。

 

 

日本銀行岡山支店 (1922年(大正11年)3月 建築)

狭隘化に伴い、昭和62年9月に新築移転しました。

(出典:Railstation.net

跡地は建物を保存し、「ルネスホール」というホールとして利用されており、約300席の多目的ホールのほか、公文庫カフェなどがあります。

 

 

日本銀行広島支店 (1936年(昭和11年)8月 建築)

平成2年4月に新築移転しました。

(出典:Railstation.net

跡地は被爆した建築物で取り壊すか活用か議論があった末、保存されることが決まり、「旧日本銀行広島支店資料室」として暫定的に活用されているほか、将来的な活用について議論されています。

 

 

日本銀行那覇支店 (1972年(昭和47年)5月 建築)

平成19年12月に那覇市の那覇新都心「おもろまち」に新築移転しました。

(出典:Wikipedia-沖縄セルラー電話

跡地は解体され、沖縄セルラー電話株式会社本社が建設されました。

 

 

日本銀行釧路支店 (昭和27年(1952年)10月 建築)

平成25年5月に釧路市の新都心エリア「シビックコア」に新築移転しました。

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跡地利用については明らかになっていませんが、釧路市が取得し、現在夜間イルミネーションが行われています。

 

 

というわけで、5つの事例を見てきました。

松江支店、岡山支店、広島支店は戦前の建築物で、貴重な建築物として全面的に保存されています。

また、那覇支店は1972年の沖縄返還の象徴的な建物でしたが、解体され、沖縄セルラーに売却されました。

釧路支店は建設時期が金沢支店の2年前と近いものになります。釧路市が取得し、保存する意向となっているようです。

 

 

 

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いずれも日本銀行は国がかかわっている機関であるため、建物を自治体が所有しているものが多いです。金沢支店の土地もまずは石川県か金沢市に土地売却を打診する可能性が大きいです。

過去の事例としては、金沢大学跡地を石川県が取得し金沢城公園として整備、旧四高本館の建物を石川県が取得し石川県文学館として保存整備、旧陸軍弾薬庫を金沢市が取得し金沢美術工芸大学、のちに石川県立歴史博物館になっています。

こういったように、まずは石川県か金沢市に日銀側に声がかかり、取得しないならば民間に売却することになりそうです。

 

建物の保存か解体かは必ず焦点となってくるでしょう。

 

 

保存の場合・・・

戦前に建てられた建物にこそ価値があるという風に見られがちですが、日本銀行金沢支店は戦後の建築ながら価値がある様々なエピソードがある建物です。

7者参加のコンペで第1位となった。大胆な列柱のファサードと箱をイメージする重厚なデザインの新古典主義。ところが当時の日銀総裁がこれに拒否反応を示し、審査委員長の岸田日出刀は抗議して日銀顧問を辞任、佐藤武夫も当選案を回収し賞金も拒否する騒ぎに。

(出典:【建築】「負けた作品も掲載」 佐藤総合計画が新建築10月別冊で特集 -建設通信新聞公式ブログ)

にあるように、設計コンペで1位となった佐藤武夫氏(佐藤総合計画の創設者)設計の建物が建つ予定だったが、日銀総裁が拒否反応を示し決定が取消され、山下寿郎氏(山下設計の創設者)の建築となったコンペ史上あってはならない事件があった建物です。

 

ちなみに、コンペで1位となった佐藤武夫氏が設計した日銀金沢支店の建物のイメージはこちらにあります。

https://www.axscom.co.jp/satou-takeo/drawing/

 

そして、日銀金沢支店といえば裏手に存在する樹齢500年のタブノキです。

元々、金沢最古の神社がこの地にあり、江戸時代には大河ドラマ利家とまつで有名になったまつの実家があったとされる場所です。

現在は日銀金沢支店敷地内に稲荷神社がありご神木となっています。500年間この地でタブノキが金沢の街の発展を見てきたところにも金沢の歴史を感じます。

 

 

 

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また、日銀金沢支店は香林坊に支店が開設されて2019年で110周年となります。

交差点の名前は「日銀前」、バス停も「香林坊(日銀前)」となっており、市民なら知らない人はいないと言っても過言ではないほど、香林坊のシンボルとなっています。

長年あったシンボルが解体となると寂しいような感じもします。

また、保存となると、建物の用途・リニューアルに向けた改修が必要になります。

 

 

解体の場合・・・

他都市の日銀の支店と比較すると、金沢支店は商業エリアの香林坊地区の中核にあり、解体・売却の可能性もあるかもしれません。

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日銀金沢支店の立地は金沢市でも利便性が抜群に良い一等地になっており、向かいには香林坊大和、隣接地には香林坊東急スクエア、周辺にはビームスやアルマーニなどのファッション・ブティックの路面店が連なる北陸随一の商業エリアとなっています。

日銀前のバス停の一部が香林坊ラモーダ前へ移設が検討されていますが、日銀が移転となるとその用地を活かしてバス停を再編するきっかけにもなるかもしれません。

跡地は4,700㎡もあり、これは金沢都ホテル跡地に匹敵する大きさです。滅多に出てくることのない1等地に集客の要となる建物を建設すれば、香林坊大和・香林坊109(当時)開業のように香林坊の大きな起爆剤となる可能性も秘めています。

 

 

アンケートでは・・・

(勝手に)Twitterでアンケートを実施してみました。

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※356票投票ありがとうございました。

 

結果は、しいのき迎賓館や東京駅のKITTEのように一部保存が35%と最も高く、次いで、解体したうえで再開発が28%、(松江支店、岡山支店、広島支店のように)全面保存が27%移築したうえで跡地を開発が10%になりました。

特に、全面保存、一部保存、解体して再開発の3案が多くを占めており、拮抗した感じになりました。

 

個人的には一部保存が理想的だと思ってますが、解体して開発・全面保存よりも多額の費用がかかることが焦点かもしれません。

しいのき迎賓館のリノベーションを担当したのも日本銀行金沢支店に携わっている山下設計ですし、日本銀行金沢支店の活用でも新旧の融合を見たいところです。

旧石川県庁が”しいのき”迎賓館なら、日本銀行金沢支店は”タブノキ”迎賓館といったところでしょうか(笑)

 

 

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現時点では情報が少ない中でここまでブログ内で話を展開していいものかと思いながらも、移転計画についてみてきました。

現地での建て替えが難しいことから移転が濃厚だと思われますが、少なくとも跡地については単に宿泊特化型ホテルやマンションといった一部の利用者しか恩恵を受けないものではなく、公共性が高い施設になってほしいです。

 

日銀側はまだ土地を取得していない段階です。ちなみに、釧路支店の場合は2007年にJR北海道から移転用の土地を取得し、2013年に移転しています。

これを考えると、完全移転までには少なくとも5年以上かかるでしょうし、跡地の議論もまだしばらく先になりそうです。

 

5、6年後の情勢・市街地の状況も考えながら活用策を考えてほしいです。

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