小松天満宮の浮島化工事が完成しました!
小松天満宮の浮島化工事、及び輪中堤の工事の概要
梯川が氾濫を起こす危険な川であるため、上流から下流まで堤防の幅を広げる工事が計画的に行われています。
梯川に隣接する小松天満宮も例外ではなく、堤防の幅を広げる計画の範囲内となってしまいました。
一時は、小松天満宮の移転も想定されましたが、国の重要文化財である小松天満宮の移転に反対の声もあり、全国では初めてのケースとなる、分水路を建設し、小松天満宮を輪中堤で囲み浮島化する工事が行われました。
もし、増水した際も梯川の本水路と分水路で水が分散され、効率よく水が下流まで流れるような仕組みとなっています。
計画が検討され始めたのは平成7年で、21年越しのプロジェクトとなります。
道づくりは石川県、まちづくりは小松市、川づくりは国土交通省が行いました。
こうして国と県と市が三位一体になってプロジェクトが行われました。
完成した様子
こちらが小松天満宮と分水路の間に架けられた天満橋です。
朱色の美しい橋になりました。
分水路の様子です。
通水も行われ、既に供用されています。
そして、天満宮と分水路の間には輪中堤が設けられました。
小松大橋方面。浅緑色の橋が小松大橋です。
小松大橋を境にして本流と分水路に分岐します。
輪中堤を遠景で見た様子です。
工事が本格的に着手した5年前(平成24年)までは手前が陸地だっただけに不思議な感覚です。
天満橋を渡って、小松天満宮に入っていきます。
小松天満宮へのアプローチ路は緩やかな下り坂でカーブしています。
輪中堤の内側は天満宮と駐車場になっています。
輪中堤は景観配慮型のものとなっています。
せっかくなので、小松天満宮の中へ入っていきます。
小松天満宮の歴史についてちょっとおさらいです。
小松天満宮は、寛永十六年(1639)に隠居して小松城に在城の加賀藩三代前田利常公の発願により、日頃祖先神として崇敬している菅原道真公を祀る社として、明暦三年(1657)に現在地に創建されました。
(小松天満宮 より引用)
前田利常公の発願により創建された神社で、現在は学問の神様としても有名な神社です。
浮島化工事とは話が逸れますが、小松天満宮は前田家の隠居城であった小松城本丸と金沢城本丸を結んだ線上にあるんです。
実際に検証してみました。
まず、金沢城本丸にピンを置きます。
そして、小松城天守台まで直線で結びます。
はい、こんな感じで直線で結びました。
小松天満宮の場所をズームしていくと・・・
すごい、まさに小松天満宮の社殿のど真ん中を通っています!!
また、社殿の配置もただ小松城と金沢城の一直線上に置いたわけではなく、緻密な計算があるみたいです。
小松天満宮のサイトにはそのことについても書かれていますので気になる方は要チェックです。
(http://www.bairin.net/Shrine_layout/shrine_layout.html)
こちらが社殿になります。
上に挙げた、朱塗りの神門とともに、国の重要文化財に指定されています。
どちらも、1657年に建てられた建物です。
ちょうど今年で建てられてから360年になるみたいです。
こういったことからも、小松天満宮を河川拡幅で移転せずに、浮島化をして現地に残ったことが正解かもしれません。
社殿を過ぎると、神社の境内なのですが、拡幅工事後のため、草むらになっていました。
ごく一部しか紹介していませんが、気になった方はぜひ訪れてみてください。
さて、あともう少し浮島化工事の完成した様子について見ていきます。
こちらが小松大橋から見た様子です。
下流方向を見ています。
左側が本流、右側が分水路となってます。
分水路は既に通水していますが、付帯施設などは現在も工事が進んでおり、全体的な完成(竣工式)は2017年11月19日となっています。
小松天満宮の浮島化工事に関連して、道路の拡幅、土地の盛り土、街並みの整備を石川県と小松市で行われました。
狭小な県道でしたが、歩道やバス停スペースも整備され、歩きやすい街になりました。
小松大橋と小松天満宮の様子
この辺りも長年にわたって工事が行われていました。
下流方向を望む。
対岸に小松天満宮の環境配慮型のブロック堤防が見えますね。
真っ赤な水道橋も周辺の景観に相まっていい感じですね。
最後に下流から上流方向の様子です。
浮島化工事は計画から22年間経ち、ようやく完成しました。
全国でも初めての形の治水工事になりました。
そして小松天満宮の浮島化は早速大きな効果を発揮しました。
2017年8月8日から9日にかけて石川県に大雨をもたらした台風5号の影響により、梯川上流では観測史上5番目の水位(+4.56m)となりました。
天満宮の浮島化工事をはじめ、梯川各所で堤防を1.5倍引提する工事(昭和46年から現在も事業中)や、河道掘削(昭和46年から現在も事業中)のおかげで、水位が2m低減する効果があったとされています。
仮に、昭和46年当時のままの川幅だったら、小松天満宮周辺を含め、小松市一帯で水があふれていたそうです。最悪の場合、堤防決壊もありうる事態だったと思います。
(詳しくはこちらに書かれています http://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb5_kouhou/press/h29/p0814_1.pdf)
景観と歴史を踏まえた上での治水工事となりました。
歴史か治水かどちらかを犠牲にするのではなく、どちらも尊重して行われたものになって良かったと思います。
過去記事
・小松天満宮 輪中堤の工事が進んでいます 2016.11
・小松天満宮 輪中堤の工事が進んでいます 2016.2
・小松天満宮 輪中堤の工事が進んでいます 2011.11